受講生の皆様の学業達成を祈願して、毎年、京都の錦天満宮に献灯させていただいてます。
今年もご縁をいただき、錦天満宮の表鳥居近くの大きな提灯に献灯の機会を賜りました。
日々、研究に励まれている皆さまの歩みが実を結びますよう、心よりお祈り申し上げます。
最近、大河ドラマの「べらぼう」を見ていて、改めて安田顕さんが演じられている「平賀源内」って面白い人やったなぁとつくづくおみます。
江戸時代を代表する奇才として知られる平賀源内は、エレキテル(摩擦起電機)の製作をはじめ、博学多才でユニークな発明を数多く残した人物です。
その活動領域は、科学技術から植物学、薬学、文学、さらには地域振興や経済活動にまで及びました。
彼の功績を振り返ると、当時としては型破りなほど先進的な発想と新しいものへの好奇心にあふれていたことがわかります。
現代はAIやロボティクスなど、テクノロジーの急速な進化によって、私たちの暮らしや研究環境も日進月歩で変化しています。
そんな時代においても、平賀源内のような視点の持ち方は、研究やイノベーションを進めるうえで重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
まず、<自由な発想と思い切りのよさ>
彼は、当時の常識に囚われず、
自ら面白いと思うものに積極的に取り組みました。
その旺盛な探究心と大胆な行動力は、斬新なアイデアを生むために欠かせない要素です。
現代の研究でも、異なる分野や異なる視点を掛け合わせる
「学際的アプローチ」がしばしば新たな発見をもたらします。
ときに「面白そうだからやってみる」という直感や冒険心が、思いがけないブレイクスルーにつながるかもしれません。
次に<失敗を恐れない挑戦>
源内は学問や技術の模倣だけでなく、独自に工夫を加えて新しいものを生み出そうとしました。
ときには上手くいかなかったこともあったでしょうが、
その失敗さえ次の創造へ生かす姿勢が見られます。
現代の研究でも、失敗を前向きにとらえ、次のチャレンジの糧にする
「試行錯誤の精神」が大切です。
失敗を恐れてチャレンジをしなければ、革新的な成果は得られません。
そして、何より<幅広い知識の融合>
源内は博学多才で知られ、当時は珍しかった西洋の学問にも積極的に触れまし。
科学技術に限らず、自然科学や文学、経済活動まで多岐にわたる知識を身につけていたからこそ、斬新な発明や企画を次々と打ち出せたのでしょう。
現代の研究も同様に、データサイエンスや社会学、デザイン思考など、
多彩な領域からヒントを得ることで新しい価値を生み出す可能性が広がります。
平賀源内が遺した精神は、ただ歴史上の「奇人」としての面白さにとどまらず、私たちが研究や創造活動を進める上でも重要な示唆を与えてくれます。
自由な発想、失敗を恐れない姿勢、そして幅広い知識の融合
——これらを意識することで、新しい時代の課題にも柔軟かつ力強く対応していけるのではないでしょうか。
ムーンサークルでは、これからも歴史を照らす知恵をヒントに、未来に向けた探究と創造の種をともに見つけ、育てていきたいと考えています。
日々、ムーンサークルで論文指導のサポートをしておりますと、さまざまな方々とお会いします。
多くの方は深い探究心と学びへの誠実さを備え、研究をともに進めるうえでも、
まさに「Educated Person」と呼ぶにふさわしい姿勢をお持ちです。
ここでいう「Educated Person」とは、単に高い学歴や専門知識を有するだけではなく、
幅広い教養を身につけ、倫理観や社会的責任を意識しながら、他者と対話を重ねつつ生涯にわたって学び続ける人のことを指しています。
リベラルアーツ教育の理念にも通じるこの在り方は、研究を進めるうえで欠かせない基盤となります。
ところが、ごくまれにではありますが、
そのような前提を欠いた態度で研究を進めようとされる方にお会いすることがあります。
特に、自身の肩書きや立場を誇示して、周囲に十分な配慮を示されない方をお見受けすることがあります。
もちろん、高い地位や職責を得るまでに努力を重ねてこられた背景は多分にあるでしょう。
しかし、研究という知的営為は個人の肩書きだけで成り立つものではありません。
むしろ、さまざまな視点を取り込み、対話を通じて問題を掘り下げ、知見を深める過程こそが研究の本質
です。
そのため、周囲の協力や指導を得ながら進めていく姿勢が欠かせないのです。
私どもムーンサークルでは、研究を共に歩むうえでの
基本的な礼儀や相互の敬意が守られない場合、残念ながらお引き受けを見送ることがございます。
これは「私たちを特別に尊重してほしい」というわけではなく、
「研究の成果を最大限に高めるためには、知性とともに品性や人間性が不可欠である」という考えに基づく判断です。
研究は一朝一夕に成し遂げられるものではなく、長い時間をかけて粘り強く取り組むものです。
その過程をともに歩むパートナーとして、互いへの配慮や敬意なしには建設的な関係を築くのは難しいと感じております。
しばしばインターネットやSNSで目にする
「何を言えるかが知性、何を言わないかが品性、どう伝えるかが人間性」
という言葉があります。これは、研究以前の大前提としても示唆に富むものです。
いかに知性的な内容を語れるかは、その人の学識や思考力を示すでしょう。
しかし、それ以上に大切なのは、どの言葉をあえて口にせず、どのような姿勢と言葉遣いで相手に伝えるかという点にあるように思えます。
礼を失した発言や、自分の都合だけを押しつける振る舞いは、仮に知的に優れていようとも、周囲との協力や指導を得る可能性を狭めるばかりか、その方ご自身が得られるはずの学びの機会を奪いかねません。
ドイツの文豪ゲーテは、
「人の品性は、その人がどんな批判をするかによって分かる。」
と述べています。
批判そのものが悪いわけではなく、どのような視点と態度で批判をするかによって、その人が何を大切にしているかが映し出されるのだと考えられます。
研究の場においても、建設的な議論や指摘は成果を高めるうえで不可欠ですが、
あまりに独善的な批判や尊大な態度は、却って学問的探究の機会を失わせてしまいかねません。
ムーンサークルにおいても、真摯な学びを続けられる方々は、最初の段階で多少の戸惑いや不安があっても、着実に基礎から学び直し、ご研究を前進させていかれます。
そうした姿勢こそが、研究を完成へと導く最も確実な方法であり、指導教官や周囲の方々との良好な関係を育む土台となるのです。
改めて、研究を志される皆さまには、
「何を言えるかが知性、何を言わないかが品性、どう伝えるかが人間性」
という言葉を胸に留めていただければ幸いです。
高等教育の場においては、まさに
知性だけでなく、品性と人間性が試されることになります。
謙虚に学び、異なる価値観や意見に耳を傾け、尊重し合う姿勢があってこそ、研究の成果は最大化されると信じております。
研究とは、単なる知識の蓄積ではなく、新たな知見を切り拓き、社会に貢献する行為です。
そのために必要なのは、批判的思考力や専門知識だけではありません。
相手を敬い、言葉を慎み、円滑なコミュニケーションを図ること
これらの要素が一体となってこそ、研究の真の価値が生まれるのではないでしょうか。
ムーンサークルとしては、研究を通じて皆さまがご自身の可能性を広げ、豊かな学問的成果へと結実されるよう、これからも誠心誠意サポートしてまいります。
どうか皆さまも、ご自身の知性・品性・人間性を磨き続けることを忘れずに、研究の道を着実に歩まれることを心より願っております。
先日、「学会で発表をしてみたい」というお問い合わせをいただきました。
その学会では、アイデアのような内容でも発表が可能とのことで、
「ぜひアイデアを発表したい」
というご希望でした。
とはいえ、ここでいう「アイデア」とは、
単なる思いつきやひらめきではありません。
より正確に言えば、それは何らかの
「仮説」に近いものと考えていただくとイメージしやすいでしょう。
学会で発表できるレベルのアイデアとは、
「理論的には可能かもしれない」と思える仮説を構築し、その実証に向けて道筋を示すような内容を指します。
たとえばタイムトラベルの例を挙げると、相対性理論などに基づけば「理論上は可能である」という仮説は立てられますが、実際にタイムトラベルを実現するには、さまざまな物理的・技術的制約を考慮する必要があります。
一足飛びにはいかないけれども、
理論の上では十分に成立し得る――そうした仮説の段階を指して「アイデア」と呼ぶわけです。
Moon Circleの活動でも、こうした学術的な視点は大変重要だと考えています。
直感的な着想を大切にする一方で、それを理論的に検証し、複数のアプローチから「本当に成り立つのか」を吟味することが必要です。
その過程こそが研究や学問の醍醐味であり、学会で発表する醍醐味でもあるのです。
もし皆さんも、ちょっとした疑問や着想があれば、
「どうやったら理論的に説明できるか」
「どんな方法で検証できるだろうか」
と考えてみてください。
そうした小さな一歩が、新たな発見や研究テーマへとつながっていくかもしれません。
ぜひ、理論的仮説としてのアイデアを大切に育てて、研究へと結実させていってくださいね。
(倫理委員会の承認番号必要)、投稿論文としては通りません。
修論や卒論で実験や調査のデータの収集が終わったものの、
最初に設定した目的や仮説に合致しなかった、とか、
とりあえずデータを取ることを優先して、そこから何が言えるかを考えたい
(=目的をちゃんと考えてなかった\(◎o◎)/!)、とか、
データー収集は完了したものの、そ迷子になっている方が少なからず毎年おられます。
どうすればよいかはケースバイケースですが、今日はこのような場合に
論文の初心者の方々に共通してる考えられる解決策を3つまとめたいともいます。
まずは、
(1)データの再検討
データに誤りや異常値がないかの確認、
統計分析の間違いがないかの確認、
まず、落ち着いてここからの検討です、
それでも、仮説や目的に合致しないデータであったならば、
(2)仮説の再評価
最初に立てた仮説が妥当であったかを再検討し、
仮説がそもそも間違っていたならば、
新たな仮説を立て直します。
先に立てた仮説を結果出てからか変えても良いの?
よくある質問ですが新たな仮説が妥当であるならば、
とりあえずOK!
何かしら後出しじゃんけんのようですが、
卒論や修論ならばこれも有りかと思います。
次に考えられる方策としては
(3)得られたデータから新たな知見を引き出す
仮説の書き直しという点では(2)と似ていますが、
(2)が元の仮説の延長上で仮設を書き直すとすれば、
(3)は全く別の視点で、得られたデータをとらえなおし、結論を導きだすことを検討するということです、
視点を変えて得られた知見が新たな洞察や研究の方向性を示すことがあります。
あるいは、得られたデータを詳細に分析し、新たなパターンや関連性を見つけるということも考えられますし、
最初の分析に使った方法とは異なる分析手法を試みるということも有効です。
データを取ったもののここから何がいえるのかわからなくなった・・・・・
大丈夫です。
あの手この手で色々な方向からデータを見直せば必ず解決策は見えてきます。
焦らずに落ち着いて取り組んでいきましょうね。
今、AIが、とりわけChat GPTが私の中での興味関心となっていて、今日は
学術論文を書く際の道具としてのAIの有効性と限界について、この半年余り色々試した結果から、ところを一度まとめてみたいと思います、
結論から言うと、ChatGPTを学術的な論文を書く際のツールとして活用することは、
多くのメリットがある一方でいくつかの限界も存在する。。。。という漠然と当たり前と思っていたことが、経験値を上げて明確にわかりました。
まず、質的な点から考えていきたいと思います。
活用できる点は、なんといっても情報の整理と要約です。
ChatGPTは、膨大なデータベースから瞬時に考えられる最適解を構築できるので、
膨大な情報を整理し、要約する能力に圧倒的に優れています。
これは、研究の背景や文献レビューの段階でツールとして非常に役立ちます。
しかしながら膨大なデータベースは、
最新の研究結果や論文には対応していないことが多く、
学術論文は2023年4月までの情報となっていてまだ新しいものの、どうもすべてを網羅しているとは個人的には言えないように思います。
一般的にニュース記事や書籍、ウェブサイト、その他のテキストソースから2021年までの広範なデータセットをおさえているらしいですが、「ウェブサイト」、「その他のテキストソース」というところに
学術的な正確性や基準は求められないように思います、
研究分野にもよりますが、医学や工学、理学などの理系や、文系でも認知科学や神経心理学などは特に研究の最先端を抑えることがカギとなる場合が多く、最先端の研究を追うことは重要です。
また、どういう基準でピックアップしてきているのかが見えないので、なぜかはわかりませんが、上に書いたように
学術的な正確性に欠ける場合も結構あります。
例えば、WHOで明らかに定義、あるいは分類されている用語に対して、
偏った解釈や定義から「答え」を返す場合も見受けられました。
このようにChatGPTが提供する情報や生成する文献リストが、常に学術的な基準や正確性を満たしているとは限らず、
常に情報の出典を確認し、信頼性を自身で評価する必要があります。
それから、活用できる点については
新しい研究アイデアや、研究問題に対する異なる視点、自分の中で気づかなかった視点を提供してくれることが挙げられます。
これは初稿の作成の段階で、研究アイデアの抽出と、それに基づいて構成を考える際に役立ちます。
しかしながら、上記にかいた
最新の研究情報の不足や学術的正確性と信頼性の問題に留意する必要があることに加えて、
特定の専門分野における深い知識や、最先端の研究内容を完全に理解しているわけではないので、
研究内容の正確性や詳細度に限界があります。
次に量的な点について考えてみると、優れているのは何といっても
文章の文法的な誤りを指摘したり、
より自然な表現に改善する提案を行うことが可能である点です。
ただ、また別の記事を書く機会に改めて書きますが、この辺り、どこまでが許容されるのかその分岐点はなかなか難しい問題のように感じます。
言えることは、文章が奇麗になっても、内容が偏っていたり、論点がずれていたり、といったことが割と起こるような印象です。
なんというか、写真の加工アプリで、不自然になるような印象・・・・変なたとえですみません。
それとまだ完全に追いついていないのがデータ分析のサポート力。
実際のデータ分析作業や統計的手法の適用には今のところ対応していないようで、研究データの解釈や分析に直接的な助言を提供することほぼできません。
ChatGPTは、学術的な論文を書く過程で
有用なアシスタントとなり得ますが、
研究者としては
その限界を理解し、批判的な思考を持って活用することが重要です。
情報の正確性や最新性の確認、専門的な知識や分析には、人間の研究者の役割が不可欠です。
私たちのところでは論文の添削サポートは2種類承っっています。
一つは修辞チェックコース
これは
論文の修辞(誤字脱字・文章の適否)をチェックするコース
筆者が何度も読んでいるうちに、目が慣れてしまい、 修辞の間違いはついうっかり見落としてしまうことが多いため
卒論・修論の提出前や投稿前などの最終的な段階で、
第三者的に目を通して確認することを目的としたコースです。
もう一つは論理性・専門知識チェックコース
全体の論理性や専門知識の正確性など内容に踏み込んで添削するコースで
加筆修正するところはされますが、
追加の内容検討が必要な個所の指摘や、
意味の通りづらいところに関する質問、
このように書いた方がわかりやすいのではないかというサジェスチョン、
ミスリーディングを導くことが危惧される個所の指摘等々まで
踏み込んだ細かなコメントが返されるのが特徴で、
卒論・修論はもとより、投稿論文でもご利用いただいている人気のコースです。
ただ、時々、お申込みの際のご要望に驚くことがあります。
例えば、2万文字を超える添削を明日までにとか。。。。
「添削ぐらいすぐにできるだろう」というスタンスの方が時たまおられてびっくりします。
論文をしっかり読むということはそんなに甘い作業ではありませんし、
そもそも論文執筆に対する考え方は少し甘い気がします。
それと、添削してもらったら完成論文になる、というお考えをお持ちの方
中には不合格にった論文を合格レベルに「添削で書き直してください」方もおられます。
論文が不合格とされるのは、
根本的、全面的に構成、論理性からやり直し必要というレベルだと思われ、
添削に出して合格レベルに引き上げてもらおうといった発想は
自身の論文に対する認識があまりに甘い。
私たちのサポートはすべて、
研究のプロセスサポートし、
併走して研究を完遂させることを目的としていますので、
添削も、そしてモデル作成サポートもいわゆる丸投げを意味していません。
卒論・主論を評価されるある先生が言われていました。
「 初めての研究だからすごい高いレベルは期待していない。
むしろどれだけ額に汗して完成させたかが大切で、
それを評価したい。 」
と。
楽して完成させようという発想はそもそも研究と相いれないと思う次第です。
卒論・修論で
書き足す必要があって、
何を書き足せばいいか、
構成を変える必要があって、
より良い構成のためにどのように書き直せばよいか
間違えた理解で書いているところはどこで、
どのように修正すればよいか、
指導教官からの指摘を
どのように内容に反映すればよいか、
論理的な流れを作るためにどこが問題で、
どのように書き直せばよいか等々、
丁寧に論文を完成させるためのサポートが必要な場合は、私たちの添削が最大限の力を発揮できると確信しています。
先日、投稿論文のサポートをさせていただいてきた受講生の方が論文を完成して、投稿され、Major revisionとMinor Revisionの間くらいの感触の査読が返ってきました。
まずはRejectでなくて良かったと、二人でガッツポーズをして、査読にコメントに丁寧に答えて行き作業をディスカッションを。通じて行いました。
投稿論文では、一回でAcceptということはまずなく
まずは査読が返ってくれば、万々歳といった印象です。
で、話は戻って、査読に対する加筆修正を行なって再投稿されました。
ところが、こののちにRejectの結果が戻ってきたのです。
なぜかと言う理由を査読の先生方から丁寧なコメントで説明が付加されていたのですか、それを読んで、受講生の方と二人でえ〜っ!?と、声を上げてしまいました。
どのような指摘であったか端的にまとめると、
本研究の意義や社会的貢献なども記述ことが一般的なのですが、その部分が、
目的と同等に取られて、その目的に対して行なった分析(調査)が妥当でない、と言う内容でした。
もちろん、目的に当たるところは明確に記述してるのだけども、いわゆるミスリーディングを導いてしまった印象です。
「研究の社会的意義についても少し詳細に記載、といった査読コメントが返ってきて、その部分を加筆されましたが、確かにそのような指摘を受けてもう一度読んでみると、意義にあたる部分の記載の分量も多いし、重要度も高く読める。
査読に答えることに注意が向き過ぎて、全体のバランスを欠いてしまい、結果としてミスリーディングを導いてしまった印象です。
ちょっとこの結果は厳しいなぁと言うのが正直な感想です。
調査も分析も良くできていたのに、あー残念。
しかしながら、残念がっていても前へ進めません。
もう一度この調査研究の
視点を変えて考察し直して、
新たに論点を抽出して、かつ、全調査の流れと関連づけて。。。。と言うように
新しい研究に組み直して、同じ学問領域で異なる分野の雑誌に再投稿する計画となりました。
めげない、負けない。
良い勉強をさせていただいたと、学ぶべきところを学んで、前進あるのみです。
調査や実験の研究計画を立てる時、まず最初の関門は
被験者収集の検討をつけることではないでしょうか。
いくら良い研究計画ができても、
被験者を収集する算段が立てられないなら、何も前へ進むことができません。
回収率が高くて、一番効率が良いのは、
指導教官が自身の講義の後で、配布回収してくれるという方法。
これは回収時期や回収数の目安もつきやすく、確実性が高いので、かなり良いケースです。
しかしながら、研究の内容によっては、大学生以外の被験者も必要になることもあるでしょう。
そういうとき、知人のツテを頼ってという方法も、
いわゆるスノーボール方式という方法で、考えられるわけですが、質的研究なら必要数は集められるでしょうが、
100を超える被験者数が求められる量的研究になると限界があるかもしれません。
最近ではSNSを使って、被験者の募集をかけるという方も時たまみられます。
この方法は、指導教官や所属の研究科によっては認められないこともあるので、
事前に確認が必要です。
コロナ禍の影響もあって、リアルは紙ベースの質問紙を配布できないという制限もあって、
最近ではGoogleフォームというGoogleが提供するアンケートの書式などを活用し、サクッと集められる方も増えてきました。
しかしながらすべてがそのようなフォームで対応できるとは限らず、例えば、、全国や地域限定で、なんらかの施設等を対象にアンケートをお願いする場合などは、郵送で調査用紙を配布して、返送をお願いして回収するという方法をとらざるを得ない時もあります。
このような場合は指導教官からのお願いの一筆やご連絡があれば、回収率は上がりますが、いわゆる飛び込みで配布する場合は、回収率は今まで
平均して20%程度でした。
これでも、回収率としては良い数字と言われています。
言い換えれば、予定している回答数の5倍以上を胚珠しないといけないという計算になります。
今までで是が非でもという必死の努力を感じたのは、学食て友人と手分けして、アンケートを取りまくってきた人がおられました。
テーマが、大学生にとって興味深かったこともありますが、ほぼ三日で、150ほどのデータを集めるという快挙でした。
その他には謝礼を弾む、という手で、集められた方もおられます。
一時間ほどの認知心理実験の被験者募集で、20-30名の被験者集める必要があった際に、協力者には終了後、お菓子に、生協の500円のプリペイドカードをお渡しるつということを友人通じて告知されたところ、あっという間に集まりました。
被験者が集まらないと、せっかくの研究計画も計画倒れ。
反対に言えば、
集まる被験者の目論見を立てて、それに合わせて実験計画を考えるというのも、現実的な一つの方法だと思います。
これから研究計画を立てられる方は、被験者集めの具体的な方法と可能性にも留意しながら進められてくださいね。
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