今年もまた、京都の錦天満宮へ献灯させていただきました。
錦市場の東の端、寺町新京極通りに面したところにあります。
手水の屋根の下に飾っていただいています。手水花がきれいですね。もい一つの手水花もパチリ。
昨年度もまた、最後まで頑張っていただいた受講生の方々には全員合格をしていただきました。
今年もどうぞ、よろしくお導きくださいと、心新たにお祈りをしてまいりました。
先日Conclusion(結論)がないといううっかりミスについてResult(結果)とDiscussion(考察)を一緒に書く場合に、うっかりしやすいという事を書きました。
今日は別のパターンについて書こうと思います。
Conclusion(結論)なのにSummary(要約)を書いてしまう失敗。
文字数にあまり制限がない修論や、文字数を増やすことを意識した修論などで、そこまでの内容をConclusion(結論)でいったん、まとめるという書き方をする場合があります。
この時に、すでに例えばConclusion(結論)と言えどもSummary(要約)と今後の展望などでゆるくまとめて終わった場合、修論だと、これで通る場合も多いです。
しかし投稿論文になると、当然ながらSummary(要約)をもってConclusion(結論)にすることはできません。そもそもそれはAbstractionの繰り返し。
Conclusion(結論)は
最初に設定したResearch Questionに対する答えや、
仮説の検証結果に対する考察
など、論文の要を書くところです。
Conclusion(結論)がSummary(要約)で終わってしまう、基本的なうっかりミスをしてしまわないように気を付けてくださいね。
前にも記事に書いたように思うのですが、投稿論文で、「うっかりと!?」Conclusion(結論)がないという論文を、時々拝見します。
「は?、そんなことないでしょう。」、と思われるかもしれないのですが、それがあるのです。
よくある間違いの一つは、MGTAなどで、Result(結果)とDiscussion(考察)が分けがたく、一緒に書いたような場合、そこで終わってしまっている論文。
もちろんDiscussion(考察)でConclusion(結論)に変えるという書き方、もありますが、、Result(結果)とDiscussion(考察)を一緒に書く場合は、General Discussion(総合考察)がないと、内容がペラペラになりますし、個人的には構成がアンバランスに思います。
この場合、General Discussion(総合考察)がConclusion(結論)の位置づけです。
文字数に余裕があるような修論では、Discussion(考察)でConclusion(結論)を詳細に書くことで良しとされる場合もありますが、投稿論文ではここは注意したいところです。
もちろん論文を書く経験を積んでこられた方は、このようなミスはされませんが、修論を投稿するなど、初めて投稿論文を書かれる方に多いように思います。
これから投稿される方は、「Conclusion(結論)がない」なんてそんなことはあり得ないと思われるかもしれませんが、今一度、客観的に論文を読み直し確認されてくださいね。
前回に引き続き。添削サポートをお引き受けできない事例について。
博士論文は最終の公聴会に至るまで、通常は何回かの非公式の公聴会(ちょっと変な表現)が繰り返されます。
そこで色々と、指摘が出て、それに合わせて加筆修正していかねばなりません。
過去に、
「この論文の新奇性が感じられない。新奇性のある内容について書き直すように」といった指示が、主査や副査の先生方から出されたそうで、その「新奇性」について加筆してほしいという添削依頼。
これは、まず投稿論文の査読が返ってきた場合と一緒で執筆者考えて、加筆修正するべき内容です。
洗練化のためのディスカッションは良いですが、他者に書き直しを依頼するのは、代行になります。
それと、そもそも「新奇性」がないということは、根本的に全体を考え直さなければいけない本質的な問題の指摘です。
それを「添削で加筆修正」できると考えるのは、その時点で、甘いと思うのですね。
そんなに簡単な問題ではありません。
おそらく私たちがサポートするとするならば、内容も当然ながら構成から考え直したり、新たな宣告研究を追加して別の視点や論点を入れたり、場合によっては追加データを加えることも考える、そういったことをディスカッションする個人セッションを重ねると思います。
いつもになくちょっと厳しい言い方になってしまいましたが、たまにはよいですかね。
よろしくご理解くださいね。
添削のサポート依頼で、時々、それはできませんという添削のご依頼をうけることがあります。
それは、
論文の根幹にかかわるような本質的な部分の
修正や加筆をご希望される場合。
具体的には、投稿論文の査読が返ってきたので
査読に従って「加筆修正」してほしいというご依頼。
これは承ることはできません。
技術的にできる出来ないではなくて、
それはその執筆者が論文の一部として書き直すべき内容
だからです。
それを他人に依頼したら、それは代行。
研究倫理に反します。
断じて承ることはできません。
私たちが投稿論文で行っている主なサポートは
投稿論文を書く前の構成や方向性についての個人指導によるディスカッション、
すでに書きあげられた論文に対するディスカッションや添削、
そして査読が返ってきたときには、
まずは査読に対する修正加筆をご自身で行っていただいて、
それに対する検討を個人指導を通じてディスカッションするというサポートです。
論文を投稿するにあたって、自分はは研究の世界で健闘する一人であるという自覚を持つことは大切なことだと思います。
投稿論文のサポートをさせていただいていて感じたこと。
もちろん投稿しようかと考える方々なので、ご研究の経験は3年以上です。
投稿論文のアクセプトのを取るポイントのひとつは、
限られた文字数の中で、いかに効果的に研究内容をまとめるかにあります。
あたりまえやんということですが。
これの最も基本的なところである、
研究の文脈をスムーズに流れさせる
というところで、引っかかられている方が案外多いです。
例えば、先の節で書いた内容をまた繰り返しているとか、シンプルに進められるところをなぜこんなにひねくりまわしてしまっているのかとか。
投稿論文ではまず一緒に書かれた文章を読み進めらながら検討するのですが、
読んでいくうちにすっきりとしていないところは「ん?!」
と引っかかるわけで、文章は上手に書かれているので何に引っかかるのかはすぐには把握できません。
それでそのあたりを何回か読んで、あ、ここだ!と気づきます。
文章のうまさでカモフラージュされているものの、やはり文脈が流れていない。
指摘したら、その方も納得されるところがほとんどで、
「なぜ、こんな風に書いてしまったのだろう?」
と自分でも不思議に思われます。
論文を書きながら何回も推敲するわけですが、そのうち、
目が慣れてしまって、文脈の不自然さに気づかないのだと思います。
私も何回かその御研究についてディスカッションしてきて、内容自体には慣れてしまっているので、気づきはしたものの、
まったくの第三者が読めばもっと不自然にすぐに感じられる、あるいは論理性の問題にすぐに気づかれるかもしれません。
論文を書く段階で、同僚や友人など
第三者に一度読んでもらって、感想を聞く
というのも、論理的な論文を書く上で有効な手段だと思います。
修論や投稿論文で英語のアブストを添付するように求められることが多いです。
多分、皆さん、文法的には間違いのない英語を書かれるのですが、
残念ながらこなれていない(私も含めて)。
外国の方の書かれた日本語を読むと、日本語は正しいけれど、ちょっとしたところがこなれていない、その逆バージョンです。
かといって、「間違っている」わけではないので、どこをどうすればよいのかわからない。
やはりこういう時は
ネイティブに教えてもらうのが一番です。
それもある程度アカデミックな文章を書ける方が良いですね。
学会によっては、指定のネイティブ翻訳業者もあるようです。
ムーンサークルでも、主に英国の研究者の方に添削チェックお願いしますが、
戻ってきたのを拝見して、
ほほぅ~!!
そういう言い回しがあったかと勉強になることが多いです。
ネイティブの研究者のお友達に頼んだり、大学院によっては、英語の論文をチェックする方が上記んでおられるときもあるので、そういうシステムを使うなど、英語のアブストを書かれるときには、
ネイティブチェックを必ずされるようにしてくださいね。
投稿するとき
投稿先のジャーナルの特質を事前に確認しておくのは、
実は基本の基です。
いくら良い論文の内容であっても
畑違いのジャーナルに出しては、通るものも通りません。
そういう時は、編集者の方から、丁寧にそのよしのお返事が添えられてリジェクトの連絡が来るときもありますが、特に何も言われずリジェクトされたりして、無駄に落ち込んだりもします。
研究領域があっていることは当然ですが、中には領域が違っても、
何らかの視点でその領域に示唆を与える論文であるならば、認められることもあります。
一番気を付けないといけないのが、同じ領域の中の同じような名前のジャーナルの違いでしょうか。
例えば、あるジャーナルはバリバリの統計で検証していく論文が求められたり、あるジャーナルは理論から丁寧に掘り起こしていく内容が求められたり。
なんとなく、経営や経済の分野、あるいは認知科学のような学際的な分野に、この違いが多いような気がします。
これから投稿をしようとされる方は、
投稿先のジャーナルの「好み」を事前チェックされることをお忘れないよう、気を付けてくださいね。
受講生の方々が投稿に出された論文の査読が現在、3本返ってきています。
いずれも渾身のご研究で、緻密によく考えられているなぁと思います。
それでも加筆修正要の査読は必ず返ってきます。
私は今まで、最初からアクセプトという論文を見たことがありません。
それどころか、名前の通っている教授が出された論文がリジェクトされているのをいくつか知っています。
受講生の方の中には、一生懸命書いた論文に対してあれやこれやと不備を指摘され、もうだめなんだとか、どうすればいいかわからないと心折れそうになる方がいますが、
査読が返ってきたら、まずは、リジェクトでなくて万歳!
気落ちするのは筋違い。
そんな時間はありません。
とにかく、がっつり、査読でいただいた指摘の修正に、食いついていきましょう。
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