先日サポートご依頼のあった論文を見せていただくと、あまり見ない構成で、構成の半分以上が
背景、結果、考察が混在しており、これらが区別されていない状態でした。
章や節のタイトルは「かっこいい」ものがつけられていたものの、
そもそもまだ結果の分析が終わっていない段階で、そのタイトルがどう導かれたのか、つかみどころがなく、一つひとつ丁寧に確認していく必要があると感じました。
大学院によっては、論文の構成が慣習的に様式が決まっている場合もあるので、そういう形式と指示があったのか確認すると、
「ネットにあった論文の構成テンプレートを参考にした」ととのこと。
さらに意味が通らない文言もあり、一つ一つ確認していくと、
「私が書いたのではなくテンプレートにそう書いてあった」とのこと。
その結果的に文脈が成り立っていない箇所も多く散見されました。
何よりも、調査結果の分析がまだできていない段階では、論文の「材料」が揃っていないため、しっかりとした論文を作成することはできません。
料理に例えるなら、食材が揃っていない状態で料理を始めるようなものです。
その段階で、結果が書かれている部分の章や節のタイトルが決まることはなく、
自分で理解できていない構成とそれっぽく見えるタイトルの旗のもと、焦って書き進めても、感想文や記録の羅列に終わる可能性が高くなります。
とりあえず、今まで書かれた部分を活かしつつ、
全面的に構成の大改築を行い、並行して結果の分析と論文としての文章を書く作業を進めて、
論文の体裁をまずは整える作業に取り掛かりました
現在は、軌道に戻って、順調に分析を終えて書き進められているところです。
現代は、ネットが普及し、さまざまな情報を簡単に収集できる時代です。
しかし、その情報の正確さを見極めることが重要です。
安易に情報を鵜呑みにして使うと、論文がまとまりを欠いてしまい、混乱を招くばかりです。
AIの活用についても同じことが言えます。
AIは効率的なツールではありますが、すべてをそのまま信じて右から左へと流用してしまうと、
見た目は整った文章になっても、内容のある論文にはなりえません。
情報社会において、研究のプロセスは格段に効率化が進んでいますが、
集めた情報の検討や取捨選択を行うのは
自分自身です。
その認識をしっかり持っておかないと、
自分が何をやっているのかわからなくなり、あるいはわからなくなっていることにすら気づかず、
情報化社会に埋没してしまいます。
自分が何をしているのかを見失わず、論文執筆は、自分自身の手で進めるものだという意識を忘れずに持って、焦らず、一歩一歩確実に進めていきましょう。