以前、ある研究計画を考える場面で、
「とりあえず対象者が動かせないポールで何らかの調査をしたい」
という漠然としたスタート地点からサポート依頼をいただきました。
まずは対象とされる方々の基本属性を整理し、そこから考えられる研究の方向性をいくつか提案していく
――短い時間の中でも有意義な作業にはなりましたが、それだけで研究計画が完成したわけではありません。
それにもかかわらず、
「綺麗にまとまった」
という達成感だけで満足してしまい、後の詰めが不十分なまま指導教官に提出というケースとなり、事後処理でのサポート依頼は大変困難を極めたケースでした。
このような状況は、
AIで生成した文章を安易に利用するとより顕在化してきます。
AIは表面的には
「綺麗な」文章を手早く作ってくれる一方で、
深い理論的根拠や独創的なアイデア、研究としての新規性は自分で掘り下げなければ得られません。
ワープロが普及しはじめた頃、手書きよりもはるかに
読みやすい文書が「内容まで良く見える」という後光効果をもたらしましたが、やがてパソコンでレポートを作成することが当たり前になると、
見た目の「綺麗さ」だけでは評価されなくなりました。AIによる文章生成にも同じことが起こりつつあります。
「綺麗」な文章はあくまでも伝達手段に過ぎません。
研究計画で大事なのは、
何を目的とし、どんな理論や先行研究を土台として、どのような新規の問いを投げかけられるかです。
実際のところ、AIを使えば形だけはそれなりの文章が用意できます。
しかし、そこに自分なりの創意工夫や独自の視点、深い考察がなければ、一見整っているようでいて内容が薄い。
だからこそ、指導教官に提出する段階では、その時点で自分の考えをできるだけ深く反映させた
「最善の案」に仕上げることを意識したいものです。
AIの力を上手に活用しつつも、
「綺麗」にまとまった文章に安易に満足せず、本来の研究目的やオリジナリティを追求する姿勢を忘れてはいけない
――これが、いま改めて強く感じていることです。