機械翻訳は目安としてみるのには便利かもしれないけれど、その和訳を読んで、論文を読んだ気になっているケースが散見されるので、今日はこれについて記事を書きたいと思います。
「先日の英語論文の先行研究を読みましたか」
とたずねると
「読みました」
という返事が返ってきて、それでは、とその論文についてもい一度精読を重ねようと、実際色々、ディスカッションしていくうちに話がかみ合わず、頓挫することがままあります。
このような場合、なぜそのような理解になるのか、ひとつづ、訳を確認しながら、進めていくと、妙な和訳のまま読み進められていることがわかり、
「どこからそのような訳になると思ったですか」
とたずねると
「機械翻訳しました」
と。
機械翻訳は昔に比べて精度が上がったとは言うものの、まだまだ完全とは言い難く、ましてや研究としての論文を理解しようとすると、
そのままではまず使えません。
言い換えれば、
文脈に沿って意訳するなど自分なりの理解で読まないと本当に読んだことにはなりません。
便利な世の中はになったけれども、やはり論文を深く読み込むというのは自分の頭で理解して初めて可能となる作業です。
日常生活でざっくりと意味が知りたいという和訳ならば、機械翻訳でもいいですが、研究において機械翻訳そのままは、意味不明になるばかり。
便利ゆえに、うっかり見落としがちな足元だと思います。
研究は便利に走らず、真摯に着々と進めることが肝心要とあらたんて思った次第です。
