奈良の二月堂でお水取りが行われる時期にだけ作られる「糊こぼし」という和菓子。
お水取りに、紅白の花びらで椿の飾りをお坊様方が作られるそうなのですが、それにちなんだ和菓子です。
今日は餅飯殿通りに萬勝堂さんにて。
見た目の河合佐和それはもう言うまでもないのですが、お味もとてもほっこりとしておいしいのです。
前にも記事に書いたように思うのですが、投稿論文で、「うっかりと!?」Conclusion(結論)がないという論文を、時々拝見します。
「は?、そんなことないでしょう。」、と思われるかもしれないのですが、それがあるのです。
よくある間違いの一つは、MGTAなどで、Result(結果)とDiscussion(考察)が分けがたく、一緒に書いたような場合、そこで終わってしまっている論文。
もちろんDiscussion(考察)でConclusion(結論)に変えるという書き方、もありますが、、Result(結果)とDiscussion(考察)を一緒に書く場合は、General Discussion(総合考察)がないと、内容がペラペラになりますし、個人的には構成がアンバランスに思います。
この場合、General Discussion(総合考察)がConclusion(結論)の位置づけです。
文字数に余裕があるような修論では、Discussion(考察)でConclusion(結論)を詳細に書くことで良しとされる場合もありますが、投稿論文ではここは注意したいところです。
もちろん論文を書く経験を積んでこられた方は、このようなミスはされませんが、修論を投稿するなど、初めて投稿論文を書かれる方に多いように思います。
これから投稿される方は、「Conclusion(結論)がない」なんてそんなことはあり得ないと思われるかもしれませんが、今一度、客観的に論文を読み直し確認されてくださいね。
前回に引き続き。添削サポートをお引き受けできない事例について。
博士論文は最終の公聴会に至るまで、通常は何回かの非公式の公聴会(ちょっと変な表現)が繰り返されます。
そこで色々と、指摘が出て、それに合わせて加筆修正していかねばなりません。
過去に、
「この論文の新奇性が感じられない。新奇性のある内容について書き直すように」といった指示が、主査や副査の先生方から出されたそうで、その「新奇性」について加筆してほしいという添削依頼。
これは、まず投稿論文の査読が返ってきた場合と一緒で執筆者考えて、加筆修正するべき内容です。
洗練化のためのディスカッションは良いですが、他者に書き直しを依頼するのは、代行になります。
それと、そもそも「新奇性」がないということは、根本的に全体を考え直さなければいけない本質的な問題の指摘です。
それを「添削で加筆修正」できると考えるのは、その時点で、甘いと思うのですね。
そんなに簡単な問題ではありません。
おそらく私たちがサポートするとするならば、内容も当然ながら構成から考え直したり、新たな宣告研究を追加して別の視点や論点を入れたり、場合によっては追加データを加えることも考える、そういったことをディスカッションする個人セッションを重ねると思います。
いつもになくちょっと厳しい言い方になってしまいましたが、たまにはよいですかね。
よろしくご理解くださいね。
添削のサポート依頼で、時々、それはできませんという添削のご依頼をうけることがあります。
それは、
論文の根幹にかかわるような本質的な部分の
修正や加筆をご希望される場合。
具体的には、投稿論文の査読が返ってきたので
査読に従って「加筆修正」してほしいというご依頼。
これは承ることはできません。
技術的にできる出来ないではなくて、
それはその執筆者が論文の一部として書き直すべき内容
だからです。
それを他人に依頼したら、それは代行。
研究倫理に反します。
断じて承ることはできません。
私たちが投稿論文で行っている主なサポートは
投稿論文を書く前の構成や方向性についての個人指導によるディスカッション、
すでに書きあげられた論文に対するディスカッションや添削、
そして査読が返ってきたときには、
まずは査読に対する修正加筆をご自身で行っていただいて、
それに対する検討を個人指導を通じてディスカッションするというサポートです。
論文を投稿するにあたって、自分はは研究の世界で健闘する一人であるという自覚を持つことは大切なことだと思います。
指導教官からの全くの指導を受けずに卒論や修論は通るのか、
これはケースバイケースですが、
過去に卒論の個人指導をさせていただいたケースでの出来事を参考までに例の一つとして挙げておきます。。
指導教官からまったくご指導がない、と言っても良好な関係ではあるという報告を受けていたケースで、12月に入ってご依頼を受けました。
さすがにこれは大急ぎで色々と取り掛からねばならず、受講生の方と一緒に積み重ねていきました。
途中、指導教官の先生に、途中経過や進捗状況をメールでもいいので、報告して、フィードバックを受けるようご教示していましたが、最後に出来上がったものを見せるだけでいいと言われていますとのお返事。
それでも提出間際に出すのは礼に失するので
「1週間前にはがんばってだしましょう。」
とサポートを続けて、5日前に何とか指導教官の方へお送りされました。
ところがそれに対するお返事が、論文の内容についてではなく、
そもそも卒論の作成にあたっての指導を十分に受けてこなかったので、提出はまかりならぬと・・・。
その報告を受けたとき絶句です。
なぜ、今、そのご教示なのかと。
色々とうかがっていくと、おそらくですが、
指導教官とのご関係の捉え方とご教示の解釈に齟齬があったような印象をうけました。
おそらく指導教官の先生は、もっと指導を仰いできて、卒論を進めることが必要と考えられていたのでしょう。
そして「最後に出来上がったものを見せるだけでいい」という意味のことを言われたのではなく、
まずは書きたい好きなテーマで自由に書いてみて、そのうえで色々指導していこうと思われていたのではないかと思います。
とにかく、お話を聞いているとご立腹されている様子が伝わってきました。
ただただ、連絡がないことにご立腹されて待たれていたのでしょうね。
残念ながらこのケースでは提出不可となり、6カ月後に「ほぼ同じ内容」で、かつ指導教官のご指示を入れ込んだ内容に修正されてご卒業となりました。
就職が決まっているから、論文が完成すれば通してくれるだろうという考えは甘いかもしれません。
これから卒業論文・修士論文を執筆し提出される方は、
指導教官ととにかくコミュニケーションをとって論文執筆に臨む
のが良いと思います。
そうでなければ、提出不可や不合格になる場合もあるのです。
今日の記事がどなたかのご参考になれば幸いです。
先日も書きましたが質的研究の方法論としてよく使われる手法にGTA,MGTA,KJ法、内容分析などがあります。
そのプロセスは手法ごとに異なりますが、共通しているのは
共通している内容をまとめて、カテゴリーなり概念なりを作って、
それに対するネーミングをするということ、
つまり、その共通項に即した妥当な名前を付けるということです。
こう聞くと至極簡単に聞こえるのですが、いざ、この作業をしていただくと、うまくいかない方が多い。
まずは質的研究の結果分析の第一段階として、次の点にちょっと注意を向けてみましょう。
何らかのリサーチクエスチョンに基づいた主要な質問項目、
あるいは分析テーマに基づいて自由記述なりインタビューなりをしていくわけですが、
その「質問」に対する「答」として、その名称でかみ合っているかどうかを確認する。
往々にしてこの対応付けができていない方が多いです。
これは単につけた名称が妥当でないというだけでなく、
そもそも、内容分類を検討していくときの視点からずれている可能性も考えられます。
全部終わってから、この間違いに気が付くと大変なので、途中で一度確認されたら良いですね。
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