昨日、興味深い記事を拝読しました。
「25歳以上の大学進学率は1%台。日本で「学び直し」の機会に恵まれない理由」
(著者:乾喜一郎 『社会人&学生のための大学・大学院選び』編集長)
「25歳以上の大学進学率は北欧諸国で10%近くに達する一方で、日本は1%台にとどまって(OECD調査)。」おり、「社会人が一番ハードルとするのは『費用』」であり、「これが社会人学生の数が伸びない理由である。」と指摘されています。
講義や勉強会への出席、レポートの作成等に係る時間の捻出は個人の努力で何とかカバーが可能ではあるけれども、「学費」に関しては個人の努力では「どうにもならない壁」であると。
まさにその通りであると思います。
社会人が大学院に通うことでかかる費用は「学費」は当然ですが、本来仕事に携わって報酬を得られていたであろう時間が勉学にかわったことで、得られる予定であった賃金もかかった費用として考えられます。すなわち、実質、「学費」の数倍の費用が掛かった計算になります。
そしてまた、入学したからと言って、決して、その学歴が将来の大きな収入につながるわけではありません。学位取得で何らかの資格試験が免除になる場合や、医学研究科で医師の仕事をつづけながら、修士、博士と修了するステップが比較的ラインとして定着している場合は別にして、学歴の延長上のキャリアパスに苦労されている方は多くおられます。
なんというか、一昔はやったところの学歴ロンダリングのような学歴を「購入する」発想での自己満足の場合は別にして、大学院で学ぶことは、研究が好きでないと割に合わない支出です。個人の向学心ゆえにそこに発生する経済的負担は当然と言えば、そうかもしれません。
しかし、やはり個人的な意思による進学ゆえに人が出費すべきという発想でなく、この記事で書かれているように「社会にとっての投資」と考えて、何らかの基準のもと学費の補助を公費負担で検討することは重要な視点であると思います。その負担は「企業やイノベーションなど具体的な成果につなげるケース」を想定した「投資」でもあり、また視点を変えると女性や高齢者の能力を活かす潜在的な機会を発展させ、社会全体の底力を引き上げることにもなるのではないかなと思います。
ふと昨日読んだ記事に深く同感することがあって今日はこの記事を書きました。
今日の記事がどなたかの参考になれば幸いです。