結果は最後についてくるもの
STAP細胞の騒動では、結局、仮説としては素晴らしいのに、
期待される結果へ思い込みにさきばしってしまわれたように思います。
仮説や目安としての推測は重要ですが、 こうあるべきな結果ありきでは本末転倒です。
仮説を検証・検討した延長上に結果はついてきます
仮説の検証のために妥当な方法を選ぶ
修士論文をサポートをさせていただくと
「こういう結果に”なるはず”だから」
の思いが強く、方法の選択に詰めが甘くなり、 よくよく読むとその方法では結果が検証できないということが 時たまあります。
「この方法で仮説が実証されたことになりますか?」
と伺うと、改めて考えられてから、
「そうですね、何かおかしいですね。」
と気づかれる場合が多いです。
思い込みは、ともすると 単純な矛盾にも気がつかなくなってしまいます。
注目される研究は、期待する結果が成果であり、 助成金や、輝かしい経歴とそれに基づく地位と名誉が、
研究者の科学的な眼を曇らせるような出来事は本当に残念に思います。
経験豊かな方々が周りにおられたにもかかわらず、このような大事な事柄がスルーされてしまったことには、
おそらく、高等教育を含む日本の研究領域に本質的な問題が含有されているのでしょう。
これから論文を書く方や 研究計画を考えるかたは、 自分の思い込みから歪曲した考え方を持っていないかどうか、
絶えず自問しながら進められていってください。